皆様、こんにちは!
4月に入って、桜も満開の時期を迎えたのに、寒い・・・
このままだと、あっという間にあつ~い夏がきてしまうかも
あっ、本社営業のMくん、【男子ごはん】シリーズを始めましたね~
う~ん、いつまで続くことか、こうご期待!
さて、今回は前篇の最後に掲載しました、【名古屋城】でございます。
名古屋城で中編を終わらせようとしたのですが、例のごとく、長~くなりそうなので、こちらも
分けてご紹介します・・・
名古屋城周辺までは、何度か来たことはありますが、中に入るのは初めて。
いや~楽しみだな~
ここは市役所かな? 立派な建物ですね。
ここも探索したいのでございますが、なんせ時間がない・・・
断腸の思いで、先に進むのでした (そりゃ大袈裟か)
東門の120分コースでスタート!
【二の丸 東庭園】
明治の初めに兵営建築のため、二之丸庭園の多くが壊されました。 名古屋市蓬左文庫所蔵の「御城御庭絵図」に基づいた発掘調査であらわれた北池・南池・茶席「霜傑」建物跡・暗渠の四遺構を中心に整備し、昭和53年4月に二之丸東庭園として開園しました。
【南池】
上の「石が三つ並んでいる~~~」 これかな??
【霜傑亭】
【北暗渠】
【南蛮たたき鉄砲狭間】
あの穴から狙い撃ち
【埋門跡】
実際にこの脱出劇はあったのうでしょうかね~??
【二の丸広場】
【藩訓秘伝の碑】
この石碑は、名古屋城二の丸御殿跡にひっそりと立っています。
ここでいう「王」とは天皇のことです。つまり、「ひとたび事を起こす際は朝廷の意向によること
、我が子孫は決して天皇の命令に背いてはならない。」との義直が定めた尾張藩の家訓・藩訓で
ございます。
義直は家康の側室の子で(実子)であり、徳川御三家(尾張家・紀伊家・水戸家)のひとつで
ある尾張家の初代藩主です。
将軍家の下で特別な地位を与えられてはいますが、プライドも高く、家光が「将軍の子」と
言えば、義直も「わが父は家康公なり」と言い、よく衝突していたそうです。
この家訓は将軍家も含め、あくまでも幕府は朝廷の家来であり、将軍家も尾張家も朝臣の一つで
しかないといった意味も含まれているのでしょうかね??
【清正の石曳】
士気を上げるため、音頭をとるのはいいけど、清正を乗せて運んでる人にしてみれば、
いい迷惑だったでしょうね~
いよいよ本丸へ!
あっ、ちなみにポーズを取ってるオバサマは私の撮影に対してではなく、写ってはいませんが
左側から撮影しているオジサマに向かってポーズを取っております。
あくまでも他人様でございまする
あっ、いた。 このオジサマ撮影でのポースでした。
今回は本丸に入る直前のここまで~~~
おまけ~
もう他の皆が桜を掲載していましたので、私は違うお花をご紹介!
そうさ~ 僕らは世界に1つだけの花
ということで、徒歩で通勤している間に撮った、お花ちゃんたちです!
人様の育てた花もありますが、あまり人目に触れられることのないお花ちゃんも
朝の通勤時なので、結構変な目で見られたりしましたね
普段歩いている道でも、ちょっと視点を変えるだけで、花だけではなくいろんなものに
気付かされます。 朝から得した気分になりますね~
この歳になってようやく気付きました
ラゾーナ川崎で疲れきっていた、おじさんを発見、、、
こんな、おじさんにもお花を見せて元気付けてあげたいな~
最後に、あのリスペクトしている方の番組が始まりました~~~
いや~、生き生きした笑顔ですね~
そんなタモさんのお友達がナレーションを務めます。
いつもタモさんの後を追っていた私にしてみれば、番組が再開するのは非常に楽しみであり
大変ありがたいのですが、なんせ遠い~~~
いつか、後を追ってブログに載せますね。
ということで、詳細は載せられませんが、早速タモさんの格言がでましたので、ご紹介を!
ん~、どっちでも格好いいよ~ タモさん!!
今回も長々と失礼しましたm(__)m