皆様、こんにちは!
東京営業所のSでございます。
今回の歴知隊探索は板橋となります!
ワイフがある国家試験を受けるため、送迎を頼まれました。
その試験場が板橋近辺ということで、待っている間に探索することにしました♪
板橋方面に向かう途中、母校を通りましたので
赤門、懐かしいな~
(信じるか信じないかはあなた次第です
)

当日の試験時間が早い為、赤羽のビジネスホテルで前泊。
夕食は食ログで検索し

右下は名物の「レバテキ」、美味しかった~
今回の探索マップ
↓ ↓ ↓

翌朝、ワイフを試験場で降ろし、出発点 である「志村坂上」へと向かいます。
コインパーキングに停めて出発準備

そう、今回の探索距離が約8kmあり、しかもワイフの試験時間が約3時間ということで
相棒「マー坊Jr.」の登場です!
そいでは、最初目的地、「志村一里塚」をご紹介。

国道を挟んだ2箇所にありました。

説明版によりますと・・・
江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、1604年2月に諸国の街道に
一里塚の設置を命じました。これにより、五間(約9m)四方、高さ1丈(約3m)の塚
が江戸日本橋を基点として1里(約4㎞弱)ごとに道を挟んで2基ずつ築かれました。
幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治9年に廃棄を命じた法が下さ
れるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、志村の一里塚は昭和8年から
行われた新中山道の工事の際に、周囲の石積みがなされて土砂の流出を防ぐ工事
が施されて保全され、現在に至っています。
今日、現存する一里塚は全国的にも非常に稀なもので、都内では北区西ヶ原と志村
の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正11年に国の史跡に
指定され、昭和59年に板橋区の史跡に登録されました。
そのすぐ並びにも古そうな建物を発見


たしかに、このような建物は都内ではあまり見られないので、貴重ですね~
日本橋方面へと向かいます。

また通り沿いに古そうな建物が

旧中山道へと入ってきます!

挙動不審なのか、自分たちが撮影されていると思っているのか、警官がチラチラと
私を見てきます
気にせず進みまする。
【縁切榎】

男女の悪縁を切りたいときや断酒を願うときに、この榎の樹皮を剥ぎ取り、煎じて
密かに飲ませるとその願いが成就されると言われ、庶民の信仰を集めたそうな。
【中山道板橋上宿】

江戸時代の五街道の一つである中山道は、江戸と京を結ぶ大動脈として、人々の
往来や物資の流通、文化の交流などを支えてきました。
板橋宿は中山道の第一番目の宿場であり、その長さは十五町四十九間(約1.7㎞)
でした。1843年には人口2.448人、家数573件を数え、旅籠屋・料理屋や駕籠屋など
様々な店舗が軒先を並べていました。板橋宿は日本橋方面から平尾宿・中宿・上宿
に分かれており、石神井川にかかる板橋から現在の環状七号線あたりまでが上宿
でした。
【板橋】

石神井川にかかる橋。ここから板橋の地名が起こったと言われています。
江戸時代の宿場の中心地で、橋の袂には高礼状がありました。
ん~、今日は二日酔いなので、この辺までにしておきますか。
おまけ~
最近のチッチで~す。
あいかわらず、お気に入りのフクロウちゃんを私のところへ持ってきて
見つめてくるチッチ

次女と一緒に爆睡するチッチ

とりあえず可愛いチッチ

ペットボトルを噛んで怒られ、甘えた顔をしてくるチッチ

以上で~す。
