ドイツ優勝おめでとうございます
今回のW杯はいろいろとありましたね~
まさかのブラジル崩壊
ブラジルを応援してたわけではないですけど、衝撃でしたねー
ブラジル国民も当然のことながら、セレソンも暫くは立ち直れないでしょうね~
まぁでも、ネイマールとチアゴが出てても、ドイツには勝てなかったと思います・・・
そして、メッシ・・・ 個人的にはMVPに疑問を感じています。。。なんせ走らない
チーム戦術なのでしょうけど、強豪国との対戦となった場合、一人が走らないと周り負担が
半端じゃない。 せめてディ・マリアが出ていれば・・・(たらればはアカンですね)
ロッペンを見習え~~~(しかし、アイツはや~)
今回は個の力が目立った大会でしたが、やはりドイツは走・攻・守と総合力において、どの
チームよりも群を抜いていましたので、優勝も妥当だと思います!
そして、今後の日本・・・
ある意味、あれだけの実力差を感じると、惜しい・悔しいというよりは、意外とあっさり諦め
がつきました
目指しているポゼッションサッカー・・・ アジアでは通用しても世界では全く通用しない(泣)
メキシコみたいなチームが理想と感じていた私にとっては、アギレさんは良い人選かと思われますが、
4年で立て直せるか、、、 とにかく期待しています!
(って、語ってるけどおれはいったい誰なんだ??)
さて、気を取り直して、今回は後編の上野編でございます!
え~と前回は、、、(只今、前回UP確認中・・・)
そう、谷中周辺まででしたね。
谷中周辺を探索後、上野公園へと向かいました。
その途中に、1625年に創建された【寛永寺】がります。
寛永寺は、東の比叡山という意味から、東叡山という山号が付けられたそうです。
(実際はここ、寛永寺も上野公園内なのですが)
寛永寺の中にある、この鬼瓦は寛永寺旧本坊表門に据えられていたものです。
↓↓↓
あっ、間違えました。
こちらが本物の鬼瓦です
そして、こちらが旧寛永寺本坊表門。
寛永時から、園内に入る手前にあります。
別名【黒門】とも呼ばれ、上野戦争での弾痕跡もあるようですが、わかりませんでした・・・
園内に入ると、国立科学博物館に入り口に機関車が。
デゴイチ(D51)ってやつですね~
実際に乗ったことはありませんが、小さい頃、よく絵を描いていた記憶が蘇ります
園内の様子
ん~、のどかで良い雰囲気でした
さつきフェスティバル??
芸術には縁のない私ですが、いつか出品してる自分の姿が浮かぶ・・・
確実に選ばれませんけどね
(実際は盆栽イジリをしている自分が)
続いて、園内にある【上野東照宮】、1627年に創建。祭神は徳川家康さんです。
日光のミニバージョンって感じですかね^^
園内の山より、不忍の池へと向かいます。
(こちらも正確に言えば、上野公園内)
先に見えるのが、弁天堂でございます。
途中に屋台が数件あり、心惹かれましたが、我慢我慢
不忍の池を後に、また元のお山へと戻ります。
階段を登り上り終えて、さらに上っていくと、【清水観音堂】があります。
左上の写真は、観音堂に上る前に撮った月の松。
右上の写真は、逆に観音堂から弁天堂を撮った写真です。
ここ観音堂は、京都の清水寺に模して、1631年に建立されました。
さすがに江戸の歴史は京都にはかなわんですな~・・・
そして、駅方面の出口へと向かいます。
そこには、上野戦争にて1日で壊滅された【彰義隊の墓】
最後は、やはり上野公園といえばこの人
西郷どんです!
皆様ご存知の通り、西郷どんの本当の顔は今でも、はっきりしておらず、この銅像も
本来の姿ではないと言われております。
まぁ、そこが謎めいていて良いところなんですけどね~~
上野公園を後にして、JRへと戻ります。
それにしてもアメヤ横丁こと「アメ横」はすんごい人でした!
そして、上野駅といえば、やはり「北の玄関口」として有名ですよね~
「あゝ上野駅」とか「津軽海峡冬景色」とか・・・
「あゝ上野駅」はよくわからんのですが、「津軽海峡冬景色」は今は亡き私のお爺ちゃんが、
石川さゆりさん大ファンで、いつもレコードで聴いていました。
(小学校低学年くらいだったか・・・?)
なので、今でもフルで歌えますよー
「上野発の夜行列車降りた時から~~♪」
以上、日暮里~上野後編でした~~~