【歴知隊~vol.21~(大田区羽田後編)】

皆様、こんにちは~!

未だに暑いんだか寒いんだかわからない天候ですね

「お天道様~、いい加減に衣替えしたいんですけど~~~」

ということで、今回も羽田編を引続きUPしていきます

 

前回ご案内しました海沿いの堤防からタモさん達は内陸へと進んでいきます。

もちろん、私とチッチもピッタリとタモさんをマーク

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2年以上前ですが、現在もWONDAの自販もそのままです。

と思いきや、¥100シールが貼れていました!

間違い探しでも、なかなか気付かないかも

 

 

ここで、都市史家の岡本さんが面白い仮説を立てていました。

なんでもこの地帯は、鎌倉時代の道と江戸時代の道がそのまま残されており、

その道が融合されている場所があると言うのです・・・

説明し難いので、ブラタモリの画像を編集して説明します。(ある意味自家製です)

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江戸時代の道はどちらかというと漁場に向かって真っ直ぐなのに対し、

鎌倉時代は斜めになっています。

 

それがわかるという「鴎稲荷神社」にチッチと一緒に行ってきました。

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そして、その融合された道がこれだ

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これでも、タモさんが跨いでいるように、チッチも跨がせているつもりです

でもこれ本当なのかな??

 

お次は、稲荷橋です!

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私も何度か通ったことがありますが、確かに「変な橋」と思っていました。

ちなみにこの先は羽田空港となっております。

 

その理由は・・・

昔はこの先には「穴守稲荷神社」があり、この道は参道だったそうです。

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右下の写真は、必殺ブラタモリのCGによる再現です!

電車も通っていたんですね~ (線路探してみましたが、さすがにありませんでした)

詳しく調べたところ、敗戦直後の1945年9月13日に羽田の飛行場が「GHQ」に接収され、

8日後の21日には現在の空港内に住んでいた約1.200世帯(3.000人)に対して、48時間

以内の強制退去命令が下され、住民は着の身着のままで周辺地域への移動を余儀なく

されたそうな

ちなみに、占領下の立ち退き命令だった為、事前交渉や保障などもありませんでした。

当然のことながら、穴守稲荷も退去の対象となり羽田3丁目に移されたそうです。

これは有名な話ですが、穴守稲荷神社移設に伴い、鳥居も取り壊されることになっていま

したが、けが人が続出し、祟りが・・・と騒がれ、その後しばらくの間は敷地のまんまん中に

残りました

(米軍から施設が日本に返還され、東京国際空港として再出発した後も残っていました)

戦争のことは、私が軽々しく語るべきではありませんが、その当時に生きてこられた方は

本当に大変だったと思いますし、今日の日本を築いてくれたことに改めて感謝します!

あれ、ちょっと暗い話になってもうた・・・

 

そして最後に、移設された穴守稲荷に向かい、チッチと参拝するのでした。

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以上、大田区は羽田編でした~~~

 

 

おまけ

東京駅の丸の内口に3月21日にOPENしました「KITTE」に行ってきました~

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ここ「KITTE」は日本郵便が初めて手がける商業施設で、「KITTE」というネーミング

は「切手」と「来て」2つの言葉に由来します。

それぞれのフロアのテーマも【全国ご当地銘品フロア】・【日本の美意識のフロア】

【古(いにしえ)と新しい感性の融合フロア】など個性的で他の商業施設とは異なり、

新たな個性を発揮したショッピングスポットです。

 

幣社得意先の【Floyd】さんも出店しております!

ハイセンスな雑貨がたくさんありますよ~

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http://www.floyd.jp/

 

今は大半が観光客で、夕方以降は仕事帰りのOLさんで賑わっています。

実際に私が行ったときも、エスカレーターで行列ができていました。

 

また上のフロアには、郵便局長室が残されており見学できるようになっています。

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この旧東京中央郵便局長室は歴史的建造物の保存とあわせ、東京中央郵便局

の歴史を継承する空間として、1931年の創建当時の雰囲気が感じられるよう、

内装を保存・再現することにしました。

って書いてありました

 

その局長室から見た東京駅!

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是非、機会がございましたら、足を運んでください